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八幡神社の歴史

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【御祭神】 八幡大神(第15代応神天皇)

【鎮座地】 秋田県横手市平鹿町浅舞字蒋沼125

【例祭日】 6月1日(春祭り)・9月敬老の日 の直前の土日(秋祭り)

【旧社格】 県社
※昭和20年に社格(神社の格式)は廃止されていますが、県南には3社しかない県社という高い位置付けにありました。

【総本社】 宇佐神宮(大分県宇佐市)

【由緒・沿革】
 社伝によれば、住古(大昔)天平12年(740)、当浅舞村開拓創業の際、居村の北西の方角に水利牧民の地を拓き、神殿を建立、八幡大神を祭祀し、永くこの地の守護神と崇め開業の盛事がなされました。
以後、当村戸籍に編入するもの、農民に限らず、士となく、商となく、皆この神社の氏子とすることを村中の法(慣習法)と定めたということです。

降って元亀(1570)のころ、小野寺左京亮友光(浅舞村の城主)、宿館に一城を築き、当地を所領されるにあたり、該城の守護に任命され、それまでの慣習や仕来りを廃したり、新たにお定めになり、城の鎮守社として八幡大神を篤く崇敬、お宮を庇護、大いに祭祀を振るわせました。

ところが、天正(1573)に至り、奥州(現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部)が大きく乱れ、幾間もなく滅亡、天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置きに伴う検地で一揆が発生。
浅舞領は秀吉の蔵入地となり、菅蔵人秀磐が城代になったため、以前程の庇護は受けられませんでした。

江戸時代に入り、慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田に入部した際、隣村吉田の城主茂木監物に城を引渡し、元和8年(1622)に城は破却の後修繕、祭神 又村民の一手に帰したとか伝わっています。

藩主佐竹家が源氏の後裔だったことから八幡大神(武の神)を篤く崇敬、明暦(1655)より元和(1688)年間に直参(江戸幕府の旗本、御家人の総称)或は代参(本人の代わりに神社にお参りする者)などが祈願されたことも複数回あり、寛保3年(1743)7月には佐竹義峯公が社殿を改修、其の時の棟札が今も保存されています。

然るに、天明(1781)の度より近傍人家、市中に移住されてより、神殿周囲が田園の中にあり、雨天の際、参拝に不便ということだけではなく、取締上不用心であることから、新たに御神徳(神様のご加護)の発揚を願うに相応しい土地を選び定め、旧藩へ申立許可をいただき、寛政12年(180 0)庚申4月30日に現在の場所に遷座、文久2年(1862)壬戊8月氏子中拠金し更に造営を加え、拝殿回廊とも完備されたということです。

明治5年(1872)壬申3月郷社(神社の格式の1つ)に列せられました。
同13年7月修繕造営を加え、同年9月19日遷宮式(御神体を本殿にうつす儀式)が執り行われました。

明治15年(1882)6月、戸長(今の町・村長)柿崎宗信と慈善事業家の伊勢多右ヱ門両氏が上京、有栖川宮幟仁親王(ありすかわのみやたかひとしんのう)から御神号御染筆(神社名が書かれた掛軸)を師岡正胤(ものおかまさたね-皇室に奉仕する方)の手を経て授けられ、4月26日には御書附(書画の作者名や伝来、署名、押印などを書いたもの)を贈られました。
そして、目出度く県社へ昇格となりました。

以上は浅舞八幡神社の由緒を抜粋したもので、寛政12年(1800)までは八幡小路321番地の24坪が、古八幡の地(元々神社があった場所)で、現在松の木1本、小祠のそばを八幡川が流れ「雪の出羽路」に記されている舞台の松、諏訪明神などがそばにあります。昭和54年(1979)4月、町の指定史跡として保存されています。

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